めいめいとりっぷ

ハッピーな毎日を。

心を広くするために「疑う」ということ。

おはこんばんにちは〜!

めいめいです。

 

唐突ですが、

私は「疑う」ことが苦手です。

 

正しいと教えられたら、

そうなんだと

疑いもせず信じ込む。

 

素直ではありますが、

まあ言ってしまえばすごくアホです。

 

 

 

すべてのことに疑ってかかることは必要ありませんが、

時には「疑いの気持ちを持つこと」も大事だよ、と思います。

 

 

なぜ疑う気持ちが必要なのか。

 

それは

「自分で考える力が大切だから」です。

 

 

人に言われたこと、

それは一個人の意見です。

 

もちろんデータに基づいた情報もあるとは思います。

 

しかしそれもまた、

一方向から見た物事の姿です。

 

 

 

1つの事柄を多方面から見てみると、

気づけることがたくさんあります。

 

こちら側から見るとまん丸な球体が、

少し回り込んで見たら、

向こう側はとんがっているかもしれないということです。

 

こっちが丸いから、

あっちも丸いだろう。

 

そんなふうに想像力を働かせる力も大切です。

 

でも見えない向こう側を予想しながらも、

それを確信とするのではなく、

 

予想通りでない場合もあるということを頭の片隅に置いておくべきです。

 

 

そうしておけば、

まさかの状態に即座に対応できます。

 

予測していたからです。

 

 

 

またそれだけでなく、

物事の別の側面を予測する・想像する過程で自分自身の物事の見方を多様化することもできます。

 

 

長々と話してきましたが、

わたしが伝えたいのは、

「当たり前の中にも、

たまには疑いの目が必要」

ということです。

 

 

街で見かける広告も、

TVの情報も、

人の気持ちも、

 

すべてがその通りではないということです。

 

見えている部分は氷山の一角です。

見えてない部分の方がたくさんあります。

 

 

見えている部分だけで、

すべてを判断しきってしまうのではなく、

 

もっともっと想像力を豊かにし、

世界を見ていきたいなと思います。

 

 

情報は必ず一方向からの目線を切り取ったものだと思います。

 

 

喧嘩している2人の言い分を聞くとしても、

きっとどちらも少しだけ自分に有利になるように、自分の目線で話をすると思います。

 

そうゆうことです。

 

 

 

やさしくて温かい人間になるためにも、

多様な視点を持って、

人と関わっていきたいなと思います。